墨田区を拠点に活動するホームページ制作
コンサルティング会社です

代表プロフィール

田原総一朗氏のような好奇心、追求心を持ち続け、お客様に貢献したい

1978年、福岡県生まれ。
高校まで福岡で育ち、1997年、立命館大学政策科学学部に入学。

大学時のアルバイト先で「サービス」の楽しさと今後の成長市場と父親が豪語していた「中国」というキーワードをヒントに中華レストランの会社、銀座アスターに新卒入社。

その後、飲食店の販売促進の飲食店コンサルティングのベンチャー企業へ転職。
インターネットでの集客に興味を持ち、京都のデジタルハリウッドに入学。
デジタルハリウッドでWeb制作の勉強しながら、京都西陣千本商店街のウェブサイト制作に従事。又パートナーと古着着物の輸出事業に従事。その後パートナーと袂を分かつことになり、東京に戻りWeb制作会社とWebマーケティング会社を経てフリーランスとして活動。

2012年6月株式会社Soichiroを設立。
会社名は、田原総一朗氏のような好奇心、追求心を持ち続けたいという思いから「Soichiro」としました。

陸上と英語漬けの学校生活と父親の存在 -幼少期~高校までの福岡生活-

福岡空港から車で10分程の福岡県糟屋郡志免町という町で18年間過ごしました。写真は、志免町のシンボルである志免炭鉱。中学(志免中学校)では陸上競技に没頭しました。思い返すとこの頃から一つのことに没頭する性格が形成されたのではないかと思います。
高校は、福岡市東区にある福岡県立香住丘高等学校英語科に入学。
当時、英語コースから英語科になったということで担任の先生の力の入り具合が凄まじく毎日が英語漬けの毎日でした。高校でも陸上競技部(種目は400mハードル)に所属し、3年生時に福岡ベスト16に入り、充実した部活動生活を送りました。3年生の夏に部活動も終わり、進路を決める中で当時ではまだ新設の総合政策系の学部がある大学を目指し受験勉強に励み、立命館大学政策科学学部に入学しました。

福岡での生活を思い返すと充実した学校生活であったことと、今は亡き父親との日々が思い出されます。
父親はある種変わり者でした。
自分で勉強し特許出願したり、志免炭鉱のそばにあるボタ山の敷地の有効活用を町に対して提案したり、当時はまだ高額だったPCを購入して夜な夜なPCに向かっていたりで勉強熱心で活発な父親でした。

私が大学3回生時に父親は他界しました。とても先見性のある父親でしたので、今頃にして酒を交わしながら語りたかったなと思います。

志免炭鉱

厚き四年を契った立命館大学応援団 -大学生活-

1997年、京都の立命館大学政策科学学部に入学。
大学1年目、バイト漬けの生活に嫌気をさし、学部のイベントなど積極的に参加しましたが、平凡な毎日を送ってました。何か大学生活で成し遂げたい、打ち込みたい、没頭したいという思いがありましたが、なかなか見つかりませんでした。

秋の学園祭、立命館大学応援団による演舞演奏を見ました。一糸乱れぬ演舞とこの時代に逆光していると思われる男臭さの中にも何かモダンな風潮を感じ、翌年入団することに決心しました。

当時立命館大学応援団は、学生服を来て演舞するリーダー部、チアリーダー部、吹奏楽部の3部で構成されており、私はリーダー部に所属しました。入団当初1998年春、学生としては2回生でしたが応援団としては1回生として活動を開始しました。(※2008年にリーダー部は廃部になりました。)

寛大で熱い先輩に囲まれた下回生時代

入団して間もない頃、衝撃的な出来事がありました。

新入生歓迎祭にて団旗を掲げパレードの催しがありました。当時の旗手(団旗を持つ担当者)の2回生の先輩が恐らく初めての団旗を掲げながらのパレード行進ということでした。私が見る限り問題なく行進されてました。

しかしパレードが終わり、リーダー部だけの集合時、袴を羽織った4回生の幹部が、3回生の先輩(元旗手で、2回生の旗手を指導する立場)を体育館の裏に引き連れて行くことがありました。

あの時の記憶ではおよそ1時間くらいだったでしょうか、体育館の裏から3回生の先輩のうわめき声がキャンパス中に響きわたってました。何が起こっているのか当時は分かりませんでしたが、恐らく旗手の2回生の先輩のパレード行進が思わしくなかった為、1つ上の先輩(元旗手)が責任をとる形でアスファルトの上で拳立てをさせられていたようでした。

幹部(4回生)が帰り、その後3回生の先輩が仕切る指導が始まりました。この流れだと、3回生の元旗手の先輩が2回生の旗手の先輩を怒るというシナリオが思い描かれましたが、その3回生の先輩は、2回生の旗手の先輩を褒め称えました。

その時3回生の先輩の寛大さに心打たれたことは昨日のことのように覚えています。

立命館大学応援団 団旗

応援する者は声援を送る方以上に努力をしてこそ真のエールを送ることができる

この立命館大学応援団での経験が今の私を形成しています。先輩、後輩、同期に感謝しております。

4年を通じて学んだこと、それは応援(サポート)する者は応援する対象者(プレーヤー)以上に努力をしてこそ相手に対して真のエールを送ることができるということ。

現在お手伝いさせて頂いているお客様、又、今後携わらせて頂くお客様に対して、「心の底から応援する」気持ちを持ち、努力を惜しまず、好奇心・探究心・追求心を持ってサポートさせて頂きます。